年初偶感

 年始を実家近くの長兄の家で過ごしましたが、浪人生の甥から最近の大学受験の様子を聞いて驚きました。
 問い合わせ、願書の取り寄せはすべてネット経由で行われており、願書を書店に買いに行ったり、返信用の封筒を送るなどという必要はないとのこと。問い合わせをした(願書も取り寄せていない)大学から年賀状が届き、出願先の大学からは「お守り」つきの年賀状が送られてくるというサービス振りです。
 国際金融機関に勤務している知人から年末のメッセージをもらいましたが、その中で「日本の高等教育の質の低さは、残念ながら抜群」という文句を目にした数日後に、このお守りつき年賀状を目にしたため、少子化の進んだ時代の大学教育について不安を感じます。
 私の知る限り昭和50年代以降、高校・大学教育は高等教育であると同時に大衆教育になってしまっており、高校については進学する気がない生徒まで無理に進学させ、高校の荒廃に拍車をかけているケースが散見されます。また制服着用、号令による講義前後の挨拶をしている大学などもあるご時世、学校の理念を聞いてみないと何ともいえませんが、『高等教育』としての視野の広さ、特に日本という国の世界地図の中での位置付け、あり方などを考えることとは、レベルが違いすぎる感があります。
 昨年、12月中旬にデンマーク出張した際に機内で隣同士になったノルウェーの造船コンサルタントから「15年以上韓国と日本を担当しているが、日本人の方が保守的かつ閉鎖的、また若者の学ぶ意欲や革新意欲が低下しており心配だ」といわれました。
 今年は申年。三猿にならず、積極的に、見る、聞く、話す(主張する)、そしてなにより考える人たちを育てたいと思います。